『かつての天才的な偉人もADHDだった』という見解は慰めにもならない

ADHDは天才肌です。およそ世界の天才・偉人はほとんどADHDだったといわれています。ADHDは個性だから引け目を感じる必要はないのです。

 

ぬえ
これってほんとかな?

 

こんにちは、ぬえ@deepspaceout12です。

 

「天才」と「ADHD」はよく結び付けられます。かつての偉人、エジソンやアインシュタインなどはADHDであったことは有名ですよね。

ADHD 偉人」「ADHD 天才」で検索すると、該当する人たちが簡単にヒットします。

 

これは、かつての偉人・天才の特性と、ADHDの特性に共通点が多いからです。

ただこれらは推測に過ぎません。その理由は、これらの人々の診断書が公表されているわけではないからです。

 

そういった神話的な人物と、ADHD当事者の自分を重ね合わせるのは、ちょっと危険なのではないかと私は思うんです。

 

ただ一つ、ここでお話しておきたいことが、「ADHD天才・偉人を結びつけること」を否定しているわけではありません

 

ここでお話したいのは、

 

ADHDの天才的な特性は、本人がマイナス面を克服する努力がない限り、それは無いに等しいのではないか?

 

ということです。

 

 

ADHDは天才なの?厄介者なの?

 

かつての偉人や天才もADHDだった

 

私はこれまで、このような言葉に支えられてきました。

 

ぬえ
私も天才肌なのかもしれない。他の人とは違うんだ…!

 

しかし、この考えに対し「実は自分にとってあまりメリットがないのでは?」と思うようになったのは、最近の話です。

 

『かつての天才・偉人はみんなADHDだった』というのは推測

 

世界の天才・偉人がほとんどADHDだった」というのは推測に過ぎません。

 

その理由に

 

  • ADHDの診断を下せるのは専門医だけであること
  • これらの人々に診断書が公表されていないこと

 

があります。

 

そもそもな話、エジソンやアインシュタインが生きていた頃、『ADHD』という概念はありませんでした。

 

にもかかわらず、彼らがADHDだと考えられている理由は

 

  • 既成概念にとらわれない柔軟な思考
  • 興味の対象にはとことん熱中する集中力
  • 新規なアイデアを縦横無尽に駆使するフレキシブルさ

 

このような思考方法や能力が、まるでADHDのそれを思わせるからでしょう。

 

ADHDはいろいろな困難を伴うのは事実ですが、その反面、これらのような非常に大きな可能性を秘めているとも考えられています。

だからこそ、世界の天才・偉人もそれなりに納得できる説として広まっているのではないでしょうか。

 

マイナス面を克服しないとADHDの『天才肌』という特性はないに等しい

 

ここまでの説明だと

 

ADHDの特性はまさに天才肌の証なのでは?

 

と思われるかもしれませんが、世の中はそう甘くはなく..。

 

ADHD当事者の多くの人は、厳しい人生を送っています。人間関係に疲弊し、社会に疎外され、そしてうつになり、悲惨な結果になってしまう例も少なくないのです。

これらはADHD特有のマイナス面が大きく影響しています。

 

つまり

 

天才肌の可能性はあっても、本人がADHD特有のマイナス面を克服しながらプラス面を伸ばせない限り、その可能性などないに等しいのでは無いでしょうか?

 

あなたができない理由を「個性なんで」とスルーしてはいけない

ADHDという脳のスペックを持っていること自体は、本人のせいではありません。そして、そのことにひけめを感じる感じる必要もありません。

 

ただ、現実の社会生活において

約束を守れない
人の話が聞けない
時間を守れない
お金にルーズ

 

このようなマイナス面を

 

ぬえ
これは個性だから仕方がないこと。

 

と片付けてしまうのは、間違っているのではないでしょうか。

 

例えば、時間にルーズで、いつも遅刻をしてしまい相手に迷惑をかけてしまう人の場合。

 

本人が遅刻したことを「個性なんで」と言ってスルーしてしまっては、相手にとってはたまったものではありません。

 

もしひとに迷惑をかけているのであれば、余分に負担をかけないよう努力して改善する必要があります。

 

「個性なんで」とADHDの特性を理由に改善を放棄することは、脳のスペックとは違う問題です。

 

「ADHDの天才肌」という特性を活かす前に、まずやらなければいけないのは

 

自分の至らない点を努力で改善すること

 

これは、ADHDであろうとそうでなかろうと共通して大人の責任であるように思います

努力をしてマイナス面を改善する心を失ってしまえば、ADHDの特性による失態、つまり敗北を引受けなければいけません。

 

だからこそ、いつでも自分と偉人を重ね合わせていては、その考えが「できないことへの言い訳」となってしまう危険性があるのでは?思うわけです。

 

合わせて読みたい

ADHDの症状改善方法で、実際に効果があったものをまとめた記事も執筆しています。こちらもご参考にどうぞ。

【実際効果があった】ADHDを改善するためのリハビリ方法まとめ【随時更新】

2018.11.14

 

改善への努力を続ければADHDの『天才肌』という特性は存分に活かせる

一方で、ADHD当事者が向上心を失わず、それにそった努力を続けていけば

 

斬新なひらめき
発想の柔軟性
直感のスピード

 

このようなADHD特有のメリットを十分に発揮できるはず。

 

ADHDはマイナス面だらけ..といってくよくよするよりも

自分を改善してADHDのメリットを活かしたほうが、自分にとっても相手にとってもきっと良いですよね。

 

なにもしなければ、ADHDのマイナス面におしつぶされて、世の中を呪っていくしかなくなくなってしまうと思うのです。

 

『私は天才なのよ』と大きな勘違いしていた頃の話

 

「私はADHDという天才的な才能を持っているのよ」

 

そう考えていた頃は、さほど昔のことではありません。

 

画家であるパブロ・ピカソはADHDであったといわれています。

ピカソの作品を敬愛し、尊敬していた私にとって、この見解は飛び上がるほど嬉しかったことは記憶に新しいです。

 

ぬえ
私は天才肌なんだ。私は素晴らしい人なのよ。

 

そんな強い考えを持ってしまった結果、どうなったと思いますか?

 

時間にルーズで毎回遅刻してしまったり
約束を守れず信頼関係に傷をつけてしまったり
人の話が聞けず相手を困らせてしまったり

 

これらADHDの特性が理由で起こした失態を、「私はピカソのように天才肌だから仕方がないのよ」という一言で片付けてしまうようになっていたのです。

 

自己の問題と向き合うこともせず
対策も講じず
他者に対して共感的に敬意をも払おうとせず

 

私は、人間として当たり前のことすらできていませんでした。

 

ADHDのマイナス面を、「個性」「特性」の一言で片付けると痛い目にあう

 

これは、「ADHDの特性」の一言で片付けられるものでは到底ありません。

 

ADHDのマイナスな特性には、努力して改善させる必要があります。

逆に言えば、

 

自己の問題と常に向き合い
対策も講じ
他者に対して共感的に敬意を払う

 

以上のことができれば、私もピカソのような素晴らしいADHDの特性を活かせた…かどうかは分かりませんが、一人の大人としてもっと良い人生があったように思えます。

 

そういう意味でも、「かつての天才・偉人と自分を照らし合わせる」ことは、計画的に行うべきだと思うのです。

 

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