「ADHDは天才の証なのか」問題について




こんにちは、ぬえ@deepspaceout12です。

 

最近とある書籍のタイトルの表記を見て、ぎょっとしました。

 

「ADHDは天才の証です」

 

そう書かれたのは、「マンガで分かる心療内科 13巻」という漫画の表紙に書かれた言葉でした。

 

漫画はこちらでも読めます(外部リンク)

 

ぬえ
最近こういう過剰な表記を多く見かけるなあという個人的感想

 

 

私はこの表記を見て、「マイナスな面が多いADHDでも良いところはあるんだ」というポジティブなメッセージとして受け取りました。が、

こういう過剰な表現は、かえって誤解を招くのでは?と思ったのも事実。調べて見たら案の定結構否定的な意見が見受けられました。

 

 

ADHDの特性である

 

斬新なひらめき
発想の柔軟性
直感のスピード

 

といったようなものは、見方によっては素晴らしい才能かもしれないし、かつての偉人もADHDだったという事例からも、天才の証と言われるのはよく分かります。

 

ですが、これらの特性が、かつての偉人の特性と類似点があるからといって、マイナス面がプラスになるかと言われれば、それは全く違う話で

 

合わせて読みたい

このことについては、こちらで詳しく執筆しています。ご参考にどうぞ。

ADHDの「遅刻癖が治らない」を解消させる5つの対策

2018.11.25

 

ADHDのマイナスな面には

 

  • 集中力が維持できない
  • 気が散りやすい
  • 忘れっぽい

 

といったようなものがあり、これらは日常生活・社会生活においてデメリットに働きます。

このようなイメージを払拭する為に「かつてのエジソンもそうであったように、ADHDh天才の証なのだ」と公言することはいいと思うんです。

 

けど、ADHDの特性によって辛い思いをしていたり、生活に支障をきたすほど困っている人たちにとって、この表現はかえって辛い表現に受け取られる可能性があるのではないかと思います。

 

だって、それって

 

「天才なADHD」以外が存在することを許さない

 

みたいな表現とも取れるし、心が疲弊しているADHD当事者にとって、マイナスになるのではないかと思うからです。

 

 

「ADHDは天才だ」という表現は確かに一理ありますが、実生活すらままならない当事者にとって、平等はありえません。

発達障害というセンシティブな話題を扱う際は、あまりに過剰な表現は誤解や偏見を助長するのではないかと思うわけです。

スポンサーリンク




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です