珠洲に旅行に行った時、ベネッセハウスミュージアムの物販コーナーにあった「ネオンと絵具箱」。
私はその美術館で、芸術家であり本書の著者の大竹伸朗さんの作品を観ました。数ある作品の中で群を抜いて心を射抜かれたものだったので見つけ次第即購入。
そしてあれから数ヶ月、ようやく読み終わりました。
自分にとって目の前のキャンバスやら真っ白な紙は、言ってみれば生きている間に世の中と関われることのできる至近距離の「窓」のようなものだ思える節があり
P.8 引用 : ネオンと絵具箱 / 大竹 伸朗
冒頭のこの言葉にまずハッとさせられます。
創作に対する熱い心構え。圧倒的な観察力をお持ちの大竹さん。日々の生活の中で感じたことを言葉として綴った大変面白いエッセイです。
彼の美術的なひらめきに思わずハッとすること間違いなしですよ。
スポンサーリンク
「ホンモノ」に出会った瞬間に人は動けなくなってしまうワケ
音にせよ絵にせよ、それに出会ってしまった人間が曲がりなりにもなぜか立ち止まったり深く感じ入ってしまうといった出来事には、その人がそれまでに生きてきた時間の中で心に立ち上がる思いやら様々な記憶の断片が意識するにしないに関わらず深く関係しているからに違いない。
P.9 引用 : ネオンと絵具箱 / 大竹 伸朗
ホンモノに出会った瞬間というのは、思わず立ち止まって言葉を失ってしまったり泣いてしまったりするもの。
その理由も分からず「分からないけど、本当に素敵で、本当に素敵だったんですよ」と、そう言うしかなかった私。
創作家は、何かひらめいたり自分でも想像以上のものが作れている瞬間を「アイデアが降ってくる」という言い方をしますが、大竹さんはそんなまさしくアーティストだ!と言われるようなプロセスに興味はないようで。
それよりも、音楽家のような高い確率でいい曲を作り出すプロセスに関心があるとのこと。
「判断保留」という社会的にはマイナスにしかならない判断も、創作に置いては結果的に「良いものになった」ための重要な役割を担っているに違いない。と大竹さんは語ります。
芸術はいつから意識するモノになったのだろう?
「芸術」を意識することにどれだけの意味があるのだろう、時々そんなことをふと思います。
私たちは小さい頃、誰しも将来に夢を抱いていました。ある人はケーキ屋さん。ある人は野球選手。ある人は漫画家。
それぞれががむしゃらにうち込んだり楽しんだりする彼,彼女らの考えている将来は芸術家ではなく漫画家であったはずだし、アーティストではなくケーキ屋さんであったはず。
大多数の子供達にとって「絵」や「音楽」は当然「芸術」と結びついていたわけではなく、人として生まれた最大の喜びと直結した、漠然とした将来へ向けての夢への起爆剤だったのだ。
P.122 引用 : ネオンと絵具箱 / 大竹 伸朗
「漠然とした将来へ向けての夢への起爆剤」という言葉にどきりとする。
私は歳をとってしまい、小さい頃に夢見てた漠然とした将来に到達してしまいました。私はあの時夢見ていた将来にふさわしい人になれているのだろうか。そんなことを考えながら読み進める。
「芸術」を見たいのではなく、単純に自分と同じ人間が同じ時間の中でつくった見たことのないとんでもないモノを見たいのではないか。
P.128 引用 : ネオンと絵具箱 / 大竹 伸朗
とんでもないモノ。いつだって求めてきたような気がします。
心動かされ鷲掴みされたような感覚。
購入してから読み終わるまで時間がかかったのも、なんだか読むのが勿体無い気がしていたのでちびちび高いワインを飲むような感覚で読んでいました。
エッセイ好きな方にはおすすめできる一冊です。
ちなみに、直島のベネッセハウスミュージアムにて見た大竹さんの作品は以下です。
(画像引用元 : 美術手帖より)《Book #1/記憶層》
全316ページ、ページサイズ100cm×80cmもある巨大本です。圧巻する圧力に、ただたじろぐしかできませんできず、(すぐにファンになりました)
その他にもおすすめ本について書いています。よろしければどうぞ!
>> 関連記事 : お願いだから読んでほしい。価値観を変えられた超絶おすすめ本まとめ8選*
コメントを残す